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勝海舟書簡 大久保一翁宛

明治五年八月二十三日



拝啓、扨過日御話
申上候祭式料献納
之手続ニ相成申候、
相原安次郎之事板垣
参議委細内話実情
六七等出仕歟、或者御内
沙汰府知事も有之候
様御座あり度旨ニ候
処承知候趣と申聞候、鳥
渡御内々御通申上置候、
遅速は計難候、御同人
も外国ゟ帰り候節面
会いたし候旨と相話候間、
為人も荒々内話いたし
置候事ニ御座候、

八月廿三日 安芳
一翁様


【現代語訳】
拝啓、過日お話にあがった祭式料の献納は手続きに移りました。
相原安次郎のことを板垣参議とくわしく内輪で話しました。
彼に六等ないし七等出仕を仰せ付けるか、あるいは内々の沙汰で府知事付きとしてほしいとの旨は、お引き受けいただける様子でした。
この点、内々ではありますが少しお知らせしておきます。
しかし遅いか早いかは推察できかねます。
松原も外国から帰って来てから面会したいと話していたので、彼の人となりについて粗々お話しておきました。

八月二三日 安芳
一翁様(大久保一翁)


【補足】
『海舟日記』の明治五年八月二十二日に
相原安次郎之事板垣江談
とあり、この書簡は明治五年のものと分かる。
相原は幕末、尊攘運動に傾倒し、一時幕府の嫌疑を避けるために北関東に身を隠したが、慶応三年に再び徳川慶喜に仕えた。維新後は静岡藩へ出仕し、明治四年には江原素六とともに新政府の海外視察団に選ばれて各国を歴訪した。明治七年、安倍川架橋を提案したことでも知られる。明治十一年に初代芝区長就任。明治十三年に茨城県少書記官、その後静岡県警部長などを歴任した。

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