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勝海舟書簡 岡本黄石宛
年代不明

拝啓、扨弥御出発ニ
相成候事と奉存、天気
先ヶ成宜敷、乍去いまた
寒葉残尤御途中
御厭之様奉祈候、本月
鳥渡相伺候暇乞可申と
心得候処、不相替来
人多ニ而ハ不本意なから
御無音相成候、不悪敷
御海容奉希候、
此品乍麁末御遣申
御用ニも相成候ハヽ大慶
御此ニ御座候、 右之如
御断申延候以上、
正月廿四日 安芳
黄石先生
【現代語訳】
拝啓、さていよいよご出発の頃かと思います。
先ずは天気がよろしいようですが、
いまだ枯葉の残る寒い季節ですので、
道中何事もないことをお祈りします。
今月、そちらにお伺いしてお暇を申し上げようかと
思っていましたが、相変わらず来客が多く、
不本意ながら挨拶も出来ず終いで した。
悪しからずご海容ください。
粗末なものですが同封の品をお送りします。
御用にもたてばうれしい限りです。
以上のとおり申し上げます。
正月二四日 安芳
黄石先生
岡本黄石
彦根藩の家老であった岡本黄石は「桜田門外の変」で藩主井伊直弼が暗殺されると、その事後処理と藩の存続のために尽力したことで知られる。維新後は、政府からの士官に応じず、隠居生活を送り、明治漢詩壇の重鎮として門弟の指導にあたった。海舟との交流は極めて深く、『海舟日記』にも黄石の名が随所に確認できる。 海舟は『氷川清話』にて「おれは、あの男に会った時に、国家の大事を思って、一身の毀誉を顧みず、至極穏当な処置をしたのは、感心だといって、誉めてやったら、知己を得たといって、大層よ喜んで居たよ。」と語っている。
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